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2015年2月19日

ひつじ年なので、この写真を



一月はユーカリのことで手一杯で、新年のご挨拶をしていませんでした。
今日が旧暦の一月一日ということなので、遅ればせながら、ご挨拶を。

まず、未年にちなんで、ごく初期のころに書いたブログから、羊の写真を。我がアパートのベランダから見える、ケーブルボックスと消火栓の羊です。







一年ちょっと続いたブログです。

頭の中だけで思いを巡らせることと、それを文章化することの違いに驚いた日々でした。文章を書くことで、考えが一か所にとどまらずに動き始めます。書くという行為そのものが考えを変えるものなのですね。

書くことに慣れていないだけのことかもしてませんが、短い文章でも書き始めてから内容が定まるまで、大げさに言えば、相当な精神労働をしています。大抵それまで思っていたことをご破算にして組み立て直すという作業が発生します。

当ブログは身近にある樹木のことを多くエントリーにしていますが、客観的な情報を本やネットで調べて自分なりに消化して記述し、また自分の目で見た情報や感想を、時におずおずと、時に大胆に付け加えて世間に差し出しています。

そうやって苦労して作った完成品をネットの空間に公開するのは、その時点での果実をピンで止めて標本にしているようなものです。それを眺める私には世間という視点が加わり、更に新しい情報を得たりして、また考えが動き始めます。

なので、エントリーを公開するとき、そういう変化に耐えられるかを考える必要があります。断定的に書かない余裕と、それでも、これが今の私ですと曝す覚悟かな。

まあ、そんなことを心してこれからもぼちぼち続けたいです。

けれども、ブログを書き始めたことで、ぼんやりとした情緒が私から抜け落ちてしまった気もします。以前は、レモンユーカリを “我にもの言う木” として、勝手に心慰められていたのに、今は種類を見極めたい意欲が勝って、心が乾いてしまったかも。この辺も、ちょっと思い出して何とかしなくちゃ。


いずれにしても、読んで下さる方が世界中におられることが大きな喜びです。これからどのように展開するか分かりませんが、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2015年1月27日

絵を見て泣いた話


もう、三十年くらい前のことなのですが、絵から強い衝撃を受けた経験があって、今回は、そのことを書きます。(チェコ好き)さんという方の記事を読んで、自分の経験を記録したくなったのです。

(チェコ好き)の日記
 2014年12月19日
「好き」「嫌い」をこえた芸術鑑賞法があるとしたら

後半の、「審美眼」とは何か というサブタイトルのところの一部を引用します。
私が考える本当の意味での「審美眼」は、「みんなが同じように美しいと思うもの、だれもが同じように高く評価するもの」を見極める能力のことではありません。「自分のためだけに作られたものが、自分のためだけに発しているメッセージに気付く」能力のことです。
例えばですね、何の知識も持っていない、作品の背景もまったく知らないはずなのに、「好き」とか「面白い」とかいう感情の何百倍も強い引力で、自分に “語りかけてくる” 作品というのがあります。
......... 
 しかし何であれ、それはあなたのための作品です。目が合います。あなたのことを、家族よりも、恋人よりも、友人よりも、その作品は知っています。

あれは多分1980年代の後半、友達とスキー旅行に行った帰途、乗り換えの時間があったので、その場の思い付きで東京上野の国立西洋美術館に入ったのでした。

軽い気持ちで展示物を順次ながめて、その絵の前に立ったとき、まさに見た瞬間に涙が噴き出したのです。友人が一緒だったので、そんな自分を見られるのが恥ずかしく、さりげなくその場を離れ人から見えないところで涙と鼻水を一生懸命拭き、眼を乾かし、その絵の前にはもう戻らなかったのです。

鑑賞する間も無く一目見るなり涙が出たので、絵の詳細は分からないのですが、ルノワールの絵で、白い服を着た女の人が正面を向いた半身像で、胸に白い花を付けていたと思います。帽子はかぶっていなかったように思います。何より、全体的に白い絵だったという印象があります。

その美術館にはそれっきり行っていませんし、その絵が何だったのか未だに分かりません。図書館でルノワールの画集を開いてみたり、インターネットが出現してからはネットで探しもしましたが、それらしいものは見つからないままです。

それでも、私の人生でちょっと突出した出来事だったので、折に触れてあれは何だったのだろうと考えました。あの白い絵が微小なエネルギーを発していて、自分の中にある何かと感応したというのが納得できる解釈でした。私の胸にも絵と同じように無垢な白い花があると想像していい気持にもなりました。が、残念ながら(チェコ好き)さんのいう、“ メッセージ” を発している絵や作者に心が向かず、自分の心の反応だけを見て自己満足の中にずっと留まっていたのです。

そして、ひと月前に(チェコ好き)さんの記事に出合いました。自分の体験が認められたようで、まずは嬉しかったのですが、それと同時に残念でならないという気持ちが、やっと起こりました。

あの涙が出た瞬間は、私の審美眼の開眼の瞬間だったのです。確かにそうでしょう、わかります。涙をふきふき見続けていれば、きっと絵が生き生きと私に語りかけたでしょう、そして私は自分をもっとよく知ることができたでしょう。それなのにその場を逃げるように離れてしまったのです。

でも、でも、ここまで書いて、なんか分かってしまいました。

絵の前から離れたことが残念でならないと書いたことで、その残念さに本当に胸がじりじりするのを感じ、それから気が付きました。あのとき自分は逃げたんだなと。見たくなかったんだと。そこに見たい自分が無いことがわかっていたんだと。

こういう展開になると、本当は完全に違う構成で書き直す方が一貫性があると思いますが、今は到底そんなことができるとは思えないので、このままにします。でも、もう考察を進める気もなくなっちゃいました。

で、話を戻すと、勇気が無かったのね。

願わくば、もう一度、あの魔法のような瞬間が訪れますように。そのときのために、私は心を澄ませて生きてゆきましょう。勇気とタオルを持って。

これで終わりにします。(チェコ好き)さん、ありがとう。






2014年11月16日

この土地を愛するためにブログを書く。



ちょっと前のエントリーで、何のためにブログを書くのか考えなくてはいけないと書きました。自分の文章を一部抜粋します。
好奇心をドライブに快調にエントリーを重ねているうちに、吸収する情報が加速的に増えてきて、無邪気にに書けなくなってしまいました。例えば、コースト ライブ オークのところでチラッと書きましたが、この自生種に首を突っ込むと、カリフォルニアの気候、地形、歴史などなどのことが絡まって押し寄せてきます。何もかもをブログに書く必要はないのですが、では何を書くかと問うと、自分はブログで何をしたいのかを考えなくてはなりません。



このひと月半ほど、仕事時間が長くて、落ち着いて物事を考える余裕がない日が続いていましたが、ついに直訴して減らしてもらいました。収入は減るけれど、おかげで少し気持ちが落ち着きました。

そんなわけで、今日はゆっくりできたので、折に触れてとりとめもなく考えていたことを、ちゃんと座って紙とペンを持って考えました。



そもそも、ブログを始めるにあたってタイトルを何にするか考えていたとき、
 「アメリカにずっと住む」 という言葉に胸がドキドキしたことを思い出しました。月並みに言うと何かが心の琴線に触れた。無理に説明を試みると、自分の心の核心部分にある、まだ自分で捉えていない霧のようなものが形をとり始めた。とにかく、これをタイトルとする当たって後に引けないような気持ちを抱いたのは確かです。まあ、 「...つもり」 をくっつけたのは弱気のせいなのですが。



それで、とにかく色々と投稿を連ねてゆくうちに、街路樹ウォッチング(後に樹木ウォッチングに拡大)を始めることになり、結構心を奪われるほど楽しくなりました。いろいろ迷うこともその都度エントリーに吐露し、悩むのも楽しいと思ってきました。そして、今回の冒頭の迷いです。


これまで、樹木のことをいろいろ知るようになったことの中で何に一番興味を引かれたかというと、それぞれの樹木が今のようになった経緯だと思います。対象となる樹木が、「都会の森」つまりUrban Forest の木なので人が必ずかかわっているのは当然なのですが、知れば知るほど短い時間に起こった嵐のような人の営みの拡大が、樹木にも影響が及んでいたことに今更ながら驚くのです。変わったのは、もちろん樹木だけではありませんが、樹木を通じて知るというのは自分に合っているように思います。

歴史という時間的な変遷だけではなく、気候や地理ももっと知りたいと思います。もちろん、アメリカやカリフォルニアの様々なことについて、本やネットでいくらでも詳しく知ることができますが、私がしたいのは自分の言葉で理解することなのです。

つまり、観光案内のようなカリフォルニアの紹介ではなく、自分の心を通過して生じた理解を伴ったエントリーを書きたいということなのです。大層なことは書けないでしょう。それでも、自分が掴んだ小さいものを、メモ紙をピンでボードに止めるように続けてゆけば、それらが集まってまとまった理解が生じるかもしれません。どのように進むか分かりませんが。


もう、自分には郷土愛のような気持ちがあると思います。そうだとすると、冒頭の迷いに対する答えとして、もっとはっきりした言葉を見つけました。

この土地のことを知ることで、この土地への愛着を深めたいです。この土地を愛するために、ブログを書きます。


以上、あくまで、今のところ、の気持ちですけど。




2014年6月22日

女性への差別と暴力について、アゴラの記事に心から共感するので、ここに記録を残します。





アゴラ 言論プラットフォーム
2014年6月22日
江本 真弓さんの記事
日本人男性が変わらない限り、日本の少子化は決して止まらない
http://agora-web.jp/archives/1600945.html#more



6月18日の東京都議会の本会議で、塩村文夏(あやか)議員の一般質問中に発されたヤジに触発されての記事だと思います。また、長く議論が続いている従軍慰安婦問題や、日本の少子化等、ニュースを賑わすトピックに触れてはいますが、本題は女性への身体的/精神的暴力についての意見です。意見というより、怒りの表明だと受け取れます。

多くの女性が様々な手段で表明してきたことで、新しいことではないですが、機会あるごとに世界に向かって喚起してゆくべきことと思っています。


私も、この記事に触発されて、意見を書きたくなりました。
漠然と思っていたことを言葉にするのは本当に難しいですが、この機会を逃すのも惜しいので頑張ってみます。


まず、私がここでわざわざ取り上げる気になったのは、つい先ごろ(5月半ばから6月初旬)90歳の我母と3週間共に過ごし、いまだに疲れが残っており、特に心に響いたからです。

まさに、江本 真弓さんが記事中で書いておられるように、
これら問題の難しさは、権利を持たず弱い女性の立場が、しばしば伝統及び宗教の名目で正当化されていることだ。しかも女性自身が、母から娘へと率先して受け継ぐ。女性にとっても多くの混乱がある問題だ。


娘である私に対して語る我母の言葉は、時として、とても他の人には言わないような粗暴な言葉になります。それは、彼女の中の女性観、家族感から引き出される本音なのだと分かるので、やりきれない気持ちになります。



日々のニュースで繰り返し報じられる世界中の悲惨な出来事を知るにつけ、私は、自分は本当にラッキーだと胸をなでおろします。暴力の被害者になったことがありません。今も昔も厳しい貧困の辛さを味わったことがありません。住んでいるところが戦場になったこともありません。家庭があってささやかな未来を夢見ることができます。

この世はあらゆることが競争で、常にあらゆるレベルで強者と弱者が分割されてゆくように見えます。国家間にも、国家内の住民や人種にも、職業にも、外見や能力にも、家族にも。

強者と弱者の分割は大きなレベルから小さなレベルまで、ありとあらゆる場面で分けられます。私は、日本で生まれ育ち、アメリカに住んでいる。これはかなり有利な条件で、私を強者側に押し上げてくれました(教育を受け、病気・怪我から守られ、かなりの心の自由を手に入れています)。一方、移民で、身寄りが少なく、言葉のハンディがあり、不安定で低賃金の労働者です。これは弱者です。

男女の分割は、それらの中で最も小さい単位の分割で、それ故あらゆるレベルに男女の分割が含まれています。強者内での女性差別があり、弱者内での女性差別があります。最弱者内で起こる女性への暴力は本当に恐ろしく、知ることさえ勇気が要る程です。

一方、先進国に住むことで享受できる豊かさが、どこか遠くに住む弱者の悲惨さの原因になることがあることを自分は知っています。が、日常では、弱者には目をつぶり、いかに自分の立場をより良くしてゆくかの方向を見がちなことも告白します。

この私の態度と、女性差別に自覚が薄い男性の心理は、レベルは違いますが、同根ではないかと思い至りました。

性別を意識しないで世界の不条理を語ることと、女性への差別を語ることが重なったり、離れたりして、少なくとも私の中では混乱が生じます。よく理解するよう、心を砕くべきでしょうね。

どうしたら良いのでしょう。混乱のことではなく、差別のことです。

私は、自分の娘たちに幸せになって欲しいと願います。一見、無邪気な思いです。ですが、この競争社会で勝って弱者を蹴落とせと言うのと同じ意味にならないようにするにはどうしたら良いのでしょう。

私には、気の利いた提案がありません。
ただ、個人として、人間の生存や競争について自分の言葉で語れる見識を持たないといけないと思っています。



消化不良の文章であることを認めます。
でも、今は、これで終わり。




2014年2月22日

私なりの、街路樹ウォッチングの基準を考えた




しばらく街路樹ウォッチングの記事投稿を御無沙汰しています。
前回書いたとおり、ちょっとつまづいているのです。



きっかけは、あるファイカスの巨木の並木が、ベンジャミンなのか、ガジュマルなのか分からなくなったことです(→ここに記事あり)。

その後、投稿したのはピンク トランペット ツリーだけになってしまったのですが、ウォッチングは続けていました。

まず、ヤシの木でずいぶん迷ったり学んだりしました。 それから、ユーカリに近い木の仲間は何種類かおよその見当がついてきました。また、どこにでも植えてあるのにどうしても分からない木にも出会いました。

そんなこんなするうちに、記事の記述の正確さはどの程度をめざすか、“多分こうだろう”と思うことの確かさをどの程度追及するか、という問いが何時もくっ付いてくるようになりました。

今にして思えば、第一回目のナシの紹介記事はあまりに無邪気だったと思います。実際に見に行かないで一般的にナシの街路樹の話をしているだけですから。でも、だったら、どこまで徹底的に調べるか、あるいは、どのくらいのいい加減さで止めておくか、結構悩ましいのです。

まあ、こんなふうにつまづいて、当面のヤシの木の記事が書けなくなってしまっていたのでした。




で、それからどうなったかというと、ヤシの木のことを調べているうちに、自ずと落ち着くところに落ち着いてきました。





ヤシの木は、当地では、もうそこらじゅうに植えてあります。ちょっと見通しのいいところに立つと、必ず目に入ると言ってもいいくらいです。それなのに、この地に26年も住んでいるのに、“ヤシの木”というひとくくりで認識していて、本当には見てなかったのです。あんなに色々あるのに。

特に目立つ大きいヤシの木を手始めに調べることにしました。見ただけで、明らかに数種類あります。おなじみUFEIのリストから、それらしいのをいくつか見つけ、Washingtonia属と Phoenix属の仲間らしいと見当がつきましたが、いきなり、はっきりとは分かりませんでした。

結局、徹底的に詳しい説明のあるサイトが見つかったのと、実際のヤシの木を何ヶ所も見に行って木に馴染んだのとで、自分なりに “分かった” という感じが得られました。つまり、種類ごとの木の特徴が、丸ごとすんなり見えるようになって、違いが分かるようになったのです。結構、うれしいことでした。




そこで、今のところ、私の街路樹ウォッチングの正確さの追求の基準は、“種類ごとの木の佇まい” が感覚的に把握できて、親しみを感じるようになるまで、です。

たとえていうなら、“親しい人は一目見たらすぐにわかる” というのと似ていますよね。まあ、人はひとりづつですが、木の場合は種類ごとです。

可能性として、完全に間違った名前をつけてしまうということは無きにしも非ずですが、それは、今のところ心配していません。あくまでも、対象が街路樹ですから、種類が限られていますので。それに、間違ったとしても、気がついた時点で修正すればいいことです。



以上でした。 
また、投稿再開します。


(ただし、タックスシーズン中は滞りがちになるかも。さっさとすれば一日で終わるのに、だらだら引き延ばしています。いけませんね。)







2014年2月17日

2ヶ月目の感想 --- 大いに心境の変化があり




ブログ始めて約2ヶ月、この間に大いに心境の変化がありましたので、記録しておきます。

ブログを始める前の心境を今振り返ると、自分の年齢をすごく気にして、劣等感さえありました。それで、年老いてゆく自分を受け入れられるように気持ちを整理し、できれば、共感してくれる人が見つかるといいな、とひそかに期待していたと思います。

死について、女とは、自分とは等、とにかく自分の人生の終わらせ方のようなことを考えていて、その考えを誰かに語りたくて始めたブログだったと思います。こんなにはっきり意識していた訳ではないけど、今振り返ると、そうだったと思います。そういう考えがいけないという意味ではないです。ただ私の場合、自分の中で、実はつまらないと思っていることを、思っていない振りをしようとしたのが、いけなかった。

そうやって始めた最初の投稿は、ほんの挨拶だったけれど、リファラ スパムのおかげで見かけ上のPV(ページビュー)数が千以上になり、訳が分からないまま、一瞬有頂天になりました。その気持ちに押されて、次々と記事を書いていったし、書く毎に気持ちが明るくなっていきました。書くことで、心が軽くなったのでしょう。

でも、Bloggerの統計の読み方が分かってくるにつれ、自分の記事を実際に読んでくれている人がほとんどいないことがはっきりしてきました。これは、かなりがっかりすることでした。 “早い時期からPV数は気にしない方が良い” というアドバイスはよく目にしていたので、打ちひしがれる程ではなかったけれど、やっぱりとても気落ちしたのは本当。まあ、空っぽのPVで喜んだ反動のようなものだけど。

ただ、それを差し引いても、書くことで気持ちが明るくなっていったことは確か。それに、今は読んでくれる人がいなくても、いつか人目に触れるかもしれないという希望はあります。

そのような、アップ&ダウンの嵐のような時期を過しているうち、街路樹の名前を調べることがしたくなりました。カメラを構えて道路ぎわに立ち、人目が気になりながらも何とか写真を撮って、記事にしました。これの何かが私に合っていたのでしょう、とても楽しく感じたのです。不思議なほど。

このごろは、かなりの時間を樹木のことを考えてます。新しい趣味の発見です。

ここ一週間あまりブログの更新をしていないのですが、実はこの樹木ウォッチングでつまづいているのです。趣味をあきらめたという意味ではありませんよ。つまづくのも楽しいです、ホント。何に躓いているかは、次の記事で書きます。

こんな心境の変化を来たすと思っていなかったので、ブログのタイトルや、プロフィールがちぐはぐになってきました。まあ、当分このままにして、いまのハッピー状態がどう落ち着くかによって考えようと思います。

実際、今のところ見てくれる人がほとんどいないブログなので、ちぐはぐも何も、気にするのは私だけなのですが。



ひとつ、不安があります。
実は、この時期、タックス・シーズン(税金のために、所得の申告をする時期)になると、何かに熱中する傾向があるのです。去年は、ネットで、英語版のドラゴン・ボールの漫画を読み通しました。逃避行動です。

タックス・シーズンをクリアした後も街路樹ウォッチングが楽しかったら本物です。


2014年1月11日

Cutie and the Boxer (キューティー&ボクサー)観ました

前回、Cutie and the Boxer をまだ観ていないと書きましたが、自分でつけたリンクで映画のトレーラーを見たら、コメントのところにNetflixに出ていると書いてあることを発見、早速観ました。(トレーラーのリンクは → ここ)

乃り子さんはお化粧していない、と書きましたが、冒頭でいきなり口紅をつけるシーンが出ました。あらら。でもとにかく、自然に見えます。

キューティーとボクサーとは、それぞれ、妻の篠原乃り子(のりこ)さん、夫の篠原有司男(うしお)さんのことで、ニューヨークに暮らす芸術家。有司男さんの方は、若いうちから名を知られていたようですが、生涯を通じてお金にはあまり縁がない暮らしのようです。

篠原夫妻が、芸術家として生きることと偽りのない生き方をすることの両方を追求して、生活のあらゆる面で摩擦を起こしながら果敢に生きてゆく姿が描かれています。二人の、遠回しだったり、ストレートだったりする本音の吐露は、可笑しくも美しく、心を打ちます。

夫妻と私とで共通点は、ゼロではないにしてもごくわずかです。それでも、二人を通して人間の本当の何かに触れた気になります。この人たちは、真実に触れたことがあるな、人間の存在の深い井戸の底まで下って底に触ったな、と思わせます。

そう思わせるのはこのドキュメンタリーを作った人の力量なのでしょうが、篠原夫妻の人間性と芸術家としてのプライドがあってこその作品の価値であるのは当然でしょう。


ところで、私は、のりこさんの話す全ての言葉、全てのしぐさや佇まいが、びんびん心に響きます。身につまされるような共感があります。 

うしおさんのほうも、映画が良く出来ているせいか、気持ちが理解できる気はするのですが、びんびん伝わるとまではいきません。

これって、男と女のちがいなのかな。我が夫がこの映画を観たら、うしおさんに共感するかな。聞きたいような、聞きたくないような。




2014年1月10日

去年見つけた二人の女性、ル=グウィン と 篠原乃り子さん

自分には共感できる女性が見つからない、と娘に言ったことがある。

身の回りの人のことではなくて、日米のメディアに出る芸能人とか有名人のなかで、ということで。娘に向かっては理由を力説したのだが、今、なぜなのかを書くために考え始めて言葉に窮している。

苦し紛れに考えてみて、多分こういうことかな。 

メディアに表現される対象は、強調されたり、薄められたり、何かが付け加えられたりとにかく加工されているものだが、そうやって作り出された女性達が自分は気に入らない。たとえば、メイクアップや着ているもの、あるいは男性とのかかわりで語られる生活など、たいていは女であることの部分に何らかの強調がされていて、それが強い作為を感じさせ共感できない。 

何かのはずみで娘相手に自論を披露してから、共感できる女性をなんとなく探すようになった。

そして、去年見つけたのが今のところ、この二人の女性。 


一人目は、小説家のUrsula K. Le Guin。
日本では アーシュラ・K・ル=グウィン と表記されている。現在84歳で健在とのこと。

昨年はじめて読んだ彼女の作品は、ファンタジー小説 Earthsea Cycle(日本では、ゲド戦記シリーズ)、全6巻。

本当は作者ではなく、この作品に出てくるテナー(Tenar)という女性が私の見つけた女性なのだが、そのテナーを生み出した作者の方に乗り換えることにした。

ル=グウィンは、アースシー(Earthsea)の世界の物語を最初3巻で終わるつもりで書いたそうだ (第1巻-1968年、 第2巻-1970年、 第3巻-1972年)。テナー は、第二巻に 少女として登場し、第3巻には出てこない。

作者も、当初は物語はそれで終わりと思っていたそうだが、18年という長い間をおいて、1990年に第4巻を出版し、我がテナーは中年となって再登場する。このテナーが、私の共感するテナー。

はじめの三つの巻の物語では、大人になる少し前の主人公たちが登場するヤングアダルト向け小説だったのが、この第4巻では、中年女性が主人公になってしまう。 前巻までのファンの趣味に合わないせいか、第4巻は、ネットの評価を見るとあまり芳しくない。でも、私は大人の女性に限ったら違う評価をすると思う。 

アースシーという、ル=グウィンが作った世界は、乗り物は動物が引っ張り、船は帆に風をうけるか人力で漕ぐかで走る。 戦う道具は剣。 そして力は男のもの、女は家を守るもの。その世界に作者はテナーを置いて考えさせ、生きさせる。彼女に 大事件がいくつかおこるが、地味に過ぎてゆく。 

ル=グウィンは、人の営みがシンプルなこの世界でテナーを通して女とは何かを探ったのだと思う。答えの出る問いではないけれど、問うことそのものが答えなのかもしれない。つまり、私はそんな問い方をするル=グウィンに興味がある。


もう一人の女性は、芸術家の篠原乃り子さん、あるいは Noriko Shinohara。
Cutie and the Boxer(キューティー&ボクサー)というドキュメンタリー映画に登場する女性。
私は映画は見ていない。知ったときには、もうどこにも上映されていなかったので。

この映画は2013年の サンダンス映画祭 にてドキュメンタリー部門で監督賞を受賞したとのこと。たぶん、その受賞関連の記事が、彼女の写真に遭遇する機会だったと思う。

メディアに出る女性のファッションやメイクアップに嫌な気がしていた私は、まず彼女の外見に引き付けられた。お化粧なし、髪は白髪の三つ編み。年齢は私ぐらいだが、美しい人に見えた。
  
映画のトレイラー をみると 彼女の、ある意味壮絶な人生を通じて身につけたと思われる軽さというか無頓着さが、また魅力的。
よく見れば、彼女はもともとが美人なのだとわかる。私がかっこうだけ真似てもあの魅力は出ないのが残念。

今年のアカデミー賞ドキュメンタリー部門の候補にあがる可能性があるといわれている。もしそうなったら、劇場でまた上映されるかもしれない。そうなったらいいな。

以上、二人見つかってうれしいです。共感できる女性はもっといるはず。




2014年1月2日

新しい年になりました

心を新たに日々の暮らしを重ねてゆこう。


夕食の前に散歩をしてきました。

我がアパートの前には、通りをはさんでコミュニティカレッジの陸上競技トラックがあり、ここは近隣住人の格好のエクササイズの場になっています。特に早朝と夕方から夜にかけては(数えたことはないけど)多いときは数十人の人が、トラックの線に沿って同じ方向に、走ったり、歩いたりしています。

早足で歩きながら、だんだん暗くなってゆく空の色を楽しんできました。西の空に、白くて細い細い月がかかっていました。

今住んでいるところの どこが好きかというと、空が広いところ。そもそも、この市には、2階建てより高い建物があるのかしら。とにかく、さえぎるものが少なく、空が広い。

それから、冬には雨が降るので、今頃は空気が澄んで気持ちがいいし、木々は雨に洗われ汚れが落ちてほっとしているように見えます。

消えそうに細い月と、暮れゆく空と、くろぐろとした木々を見上げながら歩いていると、頼る人も少ないアメリカ暮らしの不安が心をかすめます。でも、その気持ちと紙一重のところに、ひとり立つ覚悟が隠れているのも本当です。このふたつの気持ちの間を、行ったり来たりしながら今年も暮らしてゆくのかな。


ところで、昨日つまり一月一日に、アパートの住人の女性に会ったら、“ホリデーシーズンが終わって、ホントにうれしい!” と言ってました。

私も同じ気持ちよ、と返したのですが、彼女の理由は、もうこれ以上お金を使いたくないとのこと。親戚が多くて、甥や姪たちにプレゼントが大変なんだそうです。




2013年12月16日

クリスマス(3)

ちょっと日があいてしまったけれど、クリスマスの話を終わらせなくては。


私はもうこの頃はショッピングモールにはあまり行かなくなってしまいましたが、たくさんの店がひとつのビルに入っているモールはホリデーシーズンは一年で一番華やかで賑わうときです。

昨年のクリスマス直前の頃、娘の用事で一緒にモールに出かけたときのこと。 

二階の手すりにもたれて下の階を眺めると、きれいな模様を描くタイルの床を、大きな荷物をさげた人たちが大人も子供も急ぎ足に歩いているのが、どの顔もにこにこと明るく輝いて見えました。 

その明るく輝くエネルギーにうたれて「ああ、この人たちは物を買うのがうれしいのだ。」と感じてしまいました。欲しいものが買えたからではなく、物を買う行為そのものがうれしいのだと。

年のせいか、物欲を極めたバブルの時代を日本で過ごしたせいか、あるいは貧乏なせいか、もう自分は、物を買うことに疲れさえ感じます。物欲を超越したということにしておきます。
 


前回と前々回のアメリカに来たばかりの時の話から一跨ぎに飛んで最近の話になりましたが、その中間の20年余りは二人の娘の成長と共に色々なことを経験してきました。クリスマスにも片足くらいは突っ込んで。 

本当に、子供たちは私にとって外に開いた窓、いいえ、ドアのようなものでした。その話はこれからたくさん書くと思います。



数日前に娘と話したこと。

いつかあなたに子供ができて、その子がサンタクロースは本当にいるかときいてきたら、何て答えるかと聞いてみました。

嘘は言わないが、子供の年齢で言い方を変える とのこと。 

ただ、彼女の小学生時代でさえ、サンタクロースが本当にいるかなんてことは友人間で話題にならなかったと言ってました。いると思っていることにしている方が都合が良い、というのが大体の子供の認識であったとのこと。 

そういうことか...。





2013年12月14日

クリスマス(2)

クリスマスのデコレーションの話と 違和感の話


日本でも今どきは、一般住宅の外観にクリスマスデコレーションを施すことがあるそうですが、アメリカでは、というか少なくとも私の住む南カリフォルニアでは、暗くなってから住宅地を通ると豆電球の飾りで美しく輝く家々が目につきます。 

温暖な気候の当地ですが、12月は “寒い” という言葉が出るようになり、5時頃にはもう暗くなってきます。そんな夕方に車を運転していると、ふと寂しい気持ちが湧いてくるのですが、そこで色とりどりの光に浮き上がる家が見えてくると、気持ちが引き立たちます。

ここよりも北の方や東の方のずっと寒い地域では、こんな夜の光はもっと切実に心を温めてくれるものだろうなあなんて思ったりします。

さて、そんな光り輝く家の前を通り過ぎざまに見やると、屋根の上や前庭にサンタクロースやトナカイ、雪だるま、熊さん、ディズニーのキャラクターたち、線路をぐるぐる走る汽車などなどが隣近所と競い合うようにぎっしりと飾ってあります。 こうなるとさっきの寂しい気持ちは蒸発して、まさにホリデーシーズンの熱気に取り込まれてしまうのです。



アメリカに来てまだ数年しか経ってていなかった頃。昼間に住宅地を歩いていると、男性が屋根に上がって、せっせとクリスマスの飾り付けをしていました。 その光景に 例のとてもとても奇異に感じる気持ちが起こったのです。
違和感を感じる自分を面白く思ったので、いまだに覚えているのですが。

現在の私の目で見れば、この男性はクリスマスという舞台の大道具を設置しているのですから、季節の風物詩のような当たり前の光景です。

でも当時の私にとってクリスマスは、宗教的に祝う人たちは別にして、女子供の遊びのようなものという日本で育てた感覚があったのでしょう。それからこちらのクリスマスのデコレーションは、宗教的テーマの飾りを除けば、おおむね幼いデザインです。 

だからその光景は “大の男が女子供のなぐさみの行事のために幼稚な飾り付けをせっせとやっている図” にみえたのです。

大人の男は、女子供のように幼稚なことにはかかわらず、もっと価値のあることをするものだ。女子供と男は別だ。と、そんなふうにいつの間にか刷り込まれていたのですね。それで違和感が発生したのでしょう。


思い込みは、それを意識化した時点でパワーを失うものと思っています。


(自分の中の 男性観、女性観、人間観 について考えなくてはならないですね。時間をかけてやってゆくつもりです。)

たぶん、まだクリスマスの話題、続きます。

2013年12月12日

クリスマス(1)

今、アメリカはホリデーシーズン真っ只中。
ここで言うホリデーシーズンとは11月第四木曜日のサンクスギビングデーに始まりクリスマスをはさんで1月1日に終わる期間のことで、御存知のとおりパーティーをしたり、贈り物をしたり、特別の料理を食べたり、特別の飾り付けをしたり、特別の宗教行事があったりで、それに伴って人が活発に経済活動ををする季節です。

キリスト教徒以外にも多様な人々が暮らす国なので、公共の場や公立学校では宗教色無しが普通のようです。 いわゆるクリスマスカードも “Merry Christmas” だけではなく “Happy Holidays” と書いてあるのもあり、私が選ぶとするとこちらのほうです。 

でもホリデーシーズンは、ここアメリカではクリスマスを中心にして出来上がったことは間違いないし、やっぱり気になるクリスマス。そこで私のクリスマスにまつわる思いを書いてみます。常に傍観者の立場なんだけど、私のクリスマスの印象は時とともに変わってきています。



忘れもしない1988年、年が明けてすぐにアメリカにやって来てそれから間もないときのこと。 住まいの近くを散歩していると幼稚園があって大きな窓から中が見えていて、そこに大きなクリスマスツリーが飾ってあったのです。

とてもとても奇異に感じる気持ちが胸に沸き起こりました。一月に クリスマスツリー!! 日本から来たばかりの私に 12月25日をはるかに過ぎたクリスマスツリーは完全に季節外れにみえました。

すぐに、日本ではクリスマスとお正月というたった一週間しか離れていない大イベントが、別々に全く違うテイストで盛り上げられるけれど、ここでは違うのだと説明できましたが、違和感は薄まりませんでした。 

日本で仕込まれた条件付けの強さが原因の、カルチャーショックです。

日本の注連飾り(しめかざり)がお正月過ぎても飾ってあるようなものだなと考えついたとき、ちょっと笑って気持ちの収まりどころがありました。

新しい物事に出会ったとき、自分の知っていることを手がかりにして理解しようとするものだという意味のことを聞いたことがあります。 

日本の注連飾りが、アメリカのクリスマスを知る手がかりになったという経験でした。




続きます。

2013年12月10日

はじめに

はじめてのブログ。

アメリカ、南カリフォルニアに住む60才の女です。


25年前日本を離れて渡米し、家庭をつくり、子を育て、それからささやかな仕事を持ち...

日々様々な思いが去来しますが、なかなか語りかける相手がいません。


ブログを書いてみようという思いを長い間心の中で転がしていましたが、遂にここに転がりいでることに相なりました。



使う言葉は日本語です。でも誰に向かって語るか。

これを 長く自問しました。

日本語で書くのだから日本に住んでいる日本人に向けて? それともアメリカに住む日本人? それとも日本語の読める人なら誰でも?

自分の常識や文化的背景を共有または理解できる人に向かって語るのが自然かなと考えると、とりあえずの姿勢として日本で生まれ育った日本人をイメージすることにします、どこで生活しているにせよ。

とにかく、それではじめてみます。



何を書くか、これも長く自問しました。

そして、考えるにつれ変わってきました。書くにつれ変わってゆくでしょう。

今のところ、自分のことをあまり明かさないようにするつもりです。はじめは慎重に行きます。

ただ、年齢・性別・居住地を明らかにしているのは、そのことについて書くつもりだからです。



とにかく、ネットの虚空の そのむこうの誰かに向かって

どうぞよろしく~~~