ちょっと前のエントリーで、何のためにブログを書くのか考えなくてはいけないと書きました。自分の文章を一部抜粋します。
好奇心をドライブに快調にエントリーを重ねているうちに、吸収する情報が加速的に増えてきて、無邪気にに書けなくなってしまいました。例えば、コースト ライブ オークのところでチラッと書きましたが、この自生種に首を突っ込むと、カリフォルニアの気候、地形、歴史などなどのことが絡まって押し寄せてきます。何もかもをブログに書く必要はないのですが、では何を書くかと問うと、自分はブログで何をしたいのかを考えなくてはなりません。
このひと月半ほど、仕事時間が長くて、落ち着いて物事を考える余裕がない日が続いていましたが、ついに直訴して減らしてもらいました。収入は減るけれど、おかげで少し気持ちが落ち着きました。
そんなわけで、今日はゆっくりできたので、折に触れてとりとめもなく考えていたことを、ちゃんと座って紙とペンを持って考えました。
そもそも、ブログを始めるにあたってタイトルを何にするか考えていたとき、 「アメリカにずっと住む」 という言葉に胸がドキドキしたことを思い出しました。月並みに言うと何かが心の琴線に触れた。無理に説明を試みると、自分の心の核心部分にある、まだ自分で捉えていない霧のようなものが形をとり始めた。とにかく、これをタイトルとする当たって後に引けないような気持ちを抱いたのは確かです。まあ、 「...つもり」 をくっつけたのは弱気のせいなのですが。
それで、とにかく色々と投稿を連ねてゆくうちに、街路樹ウォッチング(後に樹木ウォッチングに拡大)を始めることになり、結構心を奪われるほど楽しくなりました。いろいろ迷うこともその都度エントリーに吐露し、悩むのも楽しいと思ってきました。そして、今回の冒頭の迷いです。
これまで、樹木のことをいろいろ知るようになったことの中で何に一番興味を引かれたかというと、それぞれの樹木が今のようになった経緯だと思います。対象となる樹木が、「都会の森」つまりUrban Forest の木なので人が必ずかかわっているのは当然なのですが、知れば知るほど短い時間に起こった嵐のような人の営みの拡大が、樹木にも影響が及んでいたことに今更ながら驚くのです。変わったのは、もちろん樹木だけではありませんが、樹木を通じて知るというのは自分に合っているように思います。
歴史という時間的な変遷だけではなく、気候や地理ももっと知りたいと思います。もちろん、アメリカやカリフォルニアの様々なことについて、本やネットでいくらでも詳しく知ることができますが、私がしたいのは自分の言葉で理解することなのです。
つまり、観光案内のようなカリフォルニアの紹介ではなく、自分の心を通過して生じた理解を伴ったエントリーを書きたいということなのです。大層なことは書けないでしょう。それでも、自分が掴んだ小さいものを、メモ紙をピンでボードに止めるように続けてゆけば、それらが集まってまとまった理解が生じるかもしれません。どのように進むか分かりませんが。
もう、自分には郷土愛のような気持ちがあると思います。そうだとすると、冒頭の迷いに対する答えとして、もっとはっきりした言葉を見つけました。
この土地のことを知ることで、この土地への愛着を深めたいです。この土地を愛するために、ブログを書きます。
以上、あくまで、今のところ、の気持ちですけど。
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