2014年6月28日

都会の木として美しいと評判のユーカリ、レッド フラワリング ガム(Red Flowering Gum)



前回に書いたように、フトモモ科の木の記事をしばらく続けようと思っています。

これまでに紹介した木の中では、レモン ユーカリ(Corymbia citriodora)ブリズベーン ボックス(Lophostemon confertusが、この科に入っていますが、どれくらい続けられるかしら。

フトモモ科の植物はすべて木本であり、主にオーストラリアとその近くの島々の温暖な気候の地域を原産地とします。カリフォルニアも温暖で氷点下になることがあまりないので、フトモモ科をはじめとして、オーストラリア出身がすごく多いです。



フトモモ科にはユーカリも含まれています。

日本語でユーカリと総称される種類は、英語では Eucalyptus(ユーカリプタス) あるいは Eucalypts (ユーカリプツ)と呼ばれているみたいです。また、  Gum Tree(ガム ツリー)という言い方もあります。樹液(Gum)の分泌が目立つ種類が多いのでこの総称があるそうです。
(ちなみに英語では、ゴムの木のことは Gum Tree というようりは Rubber Tree の方が一般的らしいです。)

これらユーカリは、かつてはEucalyptus(ユーカリ属)にまとまっていましたが、最新の分類では、それをEucalyptus属、Corymbia属、Angophora属の三つに分けています。



科や属として、際立った特徴がありますが、ここで長々と書くのも厄介なので、これから一種類づつ紹介しながら、説明を重ねてゆこうと思っています。どうなることやら。



まず、一つめは、Corymbia属に分類されているユーカリ、Red Flowering Gum です。

見た目が良いので、街路樹や、庭園などに植えられるとのことですが、私が見つけたのは、今のところここだけ。うちの隣のコミュニティー カレッジ内の道路に沿って、目立つ場所に植えてありました。遠くからでも花がよく見え、存在感があります。
June 26, 2014, Cypress Community College, Cypress, CA


こんもり繁った丸い樹冠に、やはり丸く集まった花がモリモリついています。

花に注意を引かれて存在に気が付いたのが4月のはじめ。花が次々に咲いて長い期間楽しめるらしく、これからもっと花盛りになりそうですが、そうじゃないかも知れないので今のうちに記事にします。



学名:    Corymbia ficifolia (コリンビア  フィチフォリア)
英語名  Red Flowering Gum(レッド フラワリング ガム)
日本語名   なし(たぶん)



木は、五本植えてありました。花がたくさんついている木、ほんのちょっとの木、まったく花がない木とバラエティに富んでいます。また、花の色も、赤っぽいオレンジ色と、濃い赤と二種類ありました。



手前の木は濃い赤い花、後ろの木は花も蕾も果実も何も無しでした。
June 26, 2014, Cypress Community College, Cypress, CA



こちらは、オレンジ色。
June 6, 2014, Cypress Community College, Cypress, CA





赤いところはオシベ。

ユーカリの花は、総じて花弁が無く、オシベがこのように華やかに目立ちます。
ガクと花弁は、カプセル状に花を包む容器に変化しており、そもそも、Eucalyptus というラテン語はこの容器のことを指しているのだそうです。

下の写真では、カプセルの蓋がはずれて開きかけている蕾がいくつか見えています。
June 26, 2014, Cypress Community College, Cypress, CA




ところで、Red Flowering Gum という名前から、花の色は赤系だけと思ったら間違いで、白、ピンク、オレンジ、赤 と、多彩なのだそうです。

どうも、Red Flowering Gum は、“赤い花の咲く Gum Tree” ではなく、“花が目立つRed Gum” のことらしいです。

Red Gum というのは、やはりある種のユーカリの総称であり、幹の色に由来する名だそうです。ただし、このRed Flowering Gum はRed Gum ではないとのこと。一般名はややこしいです。



葉です。
June 26, 2014, Cypress Community College, Cypress, CA




大きな丸い物は、果実。
もう、種がなくなって空っぽみたいです。去年のかしら。
June 26, 2014, Cypress Community College, Cypress, CA


枝に付いたまま落ちた、果実。
June 26, 2014, Cypress Community College, Cypress, CA



幹。
April 12, 2014, Cypress Community College, Cypress, CA




以上です。





2014年6月22日

女性への差別と暴力について、アゴラの記事に心から共感するので、ここに記録を残します。





アゴラ 言論プラットフォーム
2014年6月22日
江本 真弓さんの記事
日本人男性が変わらない限り、日本の少子化は決して止まらない
http://agora-web.jp/archives/1600945.html#more



618日の東京都議会の本会議で、塩村文夏(あやか)議員の一般質問中に発されたヤジに触発されての記事だと思います。また、長く議論が続いている従軍慰安婦問題や、日本の少子化等、ニュースを賑わすトピックに触れてはいますが、本題は女性への身体的/精神的暴力についての意見です。意見というより、怒りの表明だと受け取れます。

多くの女性が様々な手段で表明してきたことで、新しいことではないですが、機会あるごとに世界に向かって喚起してゆくべきことと思っています。


私も、この記事に触発されて、意見を書きたくなりました。
漠然と思っていたことを言葉にするのは本当に難しいですが、この機会を逃すのも惜しいので頑張ってみます。


まず、私がここでわざわざ取り上げる気になったのは、つい先ごろ(5月半ばから6月初旬)90歳の我母と3週間共に過ごし、いまだに疲れが残っており、特に心に響いたからです。

まさに、江本 真弓さんが記事中で書いておられるように、
これら問題の難しさは、権利を持たず弱い女性の立場が、しばしば伝統及び宗教の名目で正当化されていることだ。しかも女性自身が、母から娘へと率先して受け継ぐ。女性にとっても多くの混乱がある問題だ。


娘である私に対して語る我母の言葉は、時として、とても他の人には言わないような粗暴な言葉になります。それは、彼女の中の女性観、家族感から引き出される本音なのだと分かるので、やりきれない気持ちになります。



日々のニュースで繰り返し報じられる世界中の悲惨な出来事を知るにつけ、私は、自分は本当にラッキーだと胸をなでおろします。暴力の被害者になったことがありません。今も昔も厳しい貧困の辛さを味わったことがありません。住んでいるところが戦場になったこともありません。家庭があってささやかな未来を夢見ることができます。

この世はあらゆることが競争で、常にあらゆるレベルで強者と弱者が分割されてゆくように見えます。国家間にも、国家内の住民や人種にも、職業にも、外見や能力にも、家族にも。

強者と弱者の分割は大きなレベルから小さなレベルまで、ありとあらゆる場面で分けられます。私は、日本で生まれ育ち、アメリカに住んでいる。これはかなり有利な条件で、私を強者側に押し上げてくれました(教育を受け、病気・怪我から守られ、かなりの心の自由を手に入れています)。一方、移民で、身寄りが少なく、言葉のハンディがあり、不安定で低賃金の労働者です。これは弱者です。

男女の分割は、それらの中で最も小さい単位の分割で、それ故あらゆるレベルに男女の分割が含まれています。強者内での女性差別があり、弱者内での女性差別があります。最弱者内で起こる女性への暴力は本当に恐ろしく、知ることさえ勇気が要る程です。

一方、先進国に住むことで享受できる豊かさが、どこか遠くに住む弱者の悲惨さの原因になることがあることを自分は知っています。が、日常では、弱者には目をつぶり、いかに自分の立場をより良くしてゆくかの方向を見がちなことも告白します。

この私の態度と、女性差別に自覚が薄い男性の心理は、レベルは違いますが、同根ではないかと思い至りました。

性別を意識しないで世界の不条理を語ることと、女性への差別を語ることが重なったり、離れたりして、少なくとも私の中では混乱が生じます。よく理解するよう、心を砕くべきでしょうね。

どうしたら良いのでしょう。混乱のことではなく、差別のことです。

私は、自分の娘たちに幸せになって欲しいと願います。一見、無邪気な思いです。ですが、この競争社会で勝って弱者を蹴落とせと言うのと同じ意味にならないようにするにはどうしたら良いのでしょう。

私には、気の利いた提案がありません。
ただ、個人として、人間の生存や競争について自分の言葉で語れる見識を持たないといけないと思っています。



消化不良の文章であることを認めます。
でも、今は、これで終わり。




2014年6月20日

木の花がいろいろ咲いています。これから何を書こうかしら。




5月の半ばから6月初旬にかけて日本に行っていました。
こちらに帰って来て、花の咲いている街路樹が目につきます。

ジャカランダ、サルスベリ、マグノリア、ネム、キョウチクトウ。
強い日差しと乾燥の下で、何とか負けずに精彩を放とうと頑張っているように見えます。


でも、何故かこれらの花の咲く木の記事を書く気がしません。

それは、最初に書いたナシの花の木の記事が今でも気に入らないので、安易な花の記事を書きたくないという思いがあります。

それから、もう名前を知っているので好奇心をそそられないというのもあります。一歩踏み込めば、面白いこともあるかもしれないのですけどね。

そして何度も書いているように、この冬の異常な暖冬と少雨で、今年は何となく木々の調子がイマイチなんじゃないかなと思うのです。特に花が愛でられる木では。

なので、今を盛りの花の木は、来年以降に記事にするつもりでいます。



では、これから何を書くか。

今のところ気になっている大物は、ユーカリの仲間、針葉樹いろいろ、自生種のオーク(樫)。これらは、知れば知るほど安易に書けない気がします。

なので、これからのプランとしては、大物に正面から突撃するのではなく、周辺からぼちぼち書いてゆこうと思っています。

多分、大物ではないユーカリも含めて、フトモモ科の木から。フトモモとは変な名前ですよね。それから、まだ書いていないヤシもあるし、既出の木をまた登場させるかもしれません。


そんな感じで行きましょう。
ウォーミングアップ終了。





ウォーミングアップ続き、客室乗務員さんの男性比率が高かった。



以前に書いた自分のブログを読んで、自分のエネルギーに他人事のように感心します。

以前のエネルギーレベルに戻るべく、ただの雑談でリハビリを。



今回の日本旅行で、ロサンゼルスー成田間は ユナイテッド航空でした。その帰りの便でのこと。客室乗務員、つまりCAさんの男性比率が女性を上回っていました。

私の席の並びでは、食事をはじめあらゆる世話を白人のおじさん二人が担当してくれました。
また、飛行機を降りるときには出口にスタッフが並びますが、トータルで男性CAさんの方が多かったです。


始めにおじさん二人がエプロン姿で飲み物カートを押してきたときには、ちょっと驚きの気持ちが起こりましたが、もともと細やかなやさしいサービスを期待していた訳では無いので、“ そうか、男性もありなのか” と、認識をアップデートしました。


でも、うちに帰って家人にこのことを話しているうちに、別のことを考えました。
男性CAさんがこれから主流になるのではないかと。いままで、そうじゃなかった方が変だったのかもしれないと。

数百人の色んな国の人を、長時間、あまり心地よくない状態で閉じ込めて、途中で止まったり引き返したりがほぼ不可能な飛行機。その乗客の世話係に求められる能力は、“ 制圧力” が第一かも。

テロリストのことは置いといても、問題行動を起こす乗客が一定比率でいるという前提で対策を講じるのは正しい発想だと思います。あのCAおじさんたちは女性より力があるでしょうし、武術の心得とかあるかも。コワモテ男性の存在そのものが抑止力にもなりますし。

いやいや、あれはもしかしたらFBI(あるいはNSA)のエージェントが成りすましているのかもしれないよ、なんて家族と盛り上がりました。男性CAが普通になれば、覆面捜査もやりやすくなるでしょう。CAに成りすますのはかなり重労働ですが。

あるいは、元警察官なんていう人がCAに転職したりして。職業の流動性が高い国ですから。



エコノミーの席での話でした。ファーストクラスでは、やっぱりやさしい女性のサービスが求められるのかしら。私がファーストクラスだったら、強そうなおにいさん/おじさんのほうがいいな。


雑談でした。



ブログから離れてひと月以上。まず、ウォーミングアップ。



6月初旬に日本から帰ってきましたが、なかなか頭が元に戻らなくてウダウダ過ごしていました。



頭が元に戻らない理由の一つは時差ボケ。時差ボケは年々しんどくなります。
日本に行ったときにはいつも、早寝早起きのリズムがすぐに出来上がってとても調子がいいのですが、こちらに帰って来た後の回復には時間がかかります。いまだに昼間はだるくて、夜は熟睡感が少ない状態が残っています。



もう一つの理由は、母親。
認知症の傾向が強くなってきた母と密着した状態で、同じ話を繰り返し繰り返し3週間聞き続けたので、本当に疲れました。賛成できない内容もいろいろあるのですよ。それを、ウンウンと聞くのです。本当は、ちょっと逆らったりもしましたが、もちろん通じません。

密着といっても、実際には、母は週に2~3回デイサービスに行っていたので、離れる時間もあったのですが、その間は溜まりに溜まった不要物を片づけたり捨てたり、掃除や洗濯をしていました。母の目の前ではできないことなのです。

この母の日頃の世話は兄夫婦がしてくれています。たった3週間のことで音をあげた私には思いもよらないような日々を過ごしているのだと思うと、申し訳なく、また有難く思っています。(このブログのことは知らないはずですが)本当にありがとうございます。



とても個人的な内容ですが、これを書かないと次に動けないようなので、手短に書きました。