2013年12月20日

8日目の感想 続き

前回の投稿から2日経って、もう少し賢くなりましたが、一応続きということで。


わがブログの訪問者は、ほとんどが Referer Spam (リファラ スパム)のようです。

ダッシュボードの “統計” の中の “トラフィック” を見ると 複数のリンク先とそこからのページビューが出ているのですが、vampirestat や  7seacretsearch というところに 2桁から3桁の数字がでています。

何のことか分からないままにしていましたが、調べるということに思い至って、Referer Spam という存在を認識。膨大な回数のアクセスを繰り返して注意を引き、リンクされているサイトに誘導しようというものとのこと。誘導された先はいろいろ。

訪問者数の少ないブログでは、Referer Spamからのページビュー数が目立ってしまうとのこと。まさに、私のこと。

アクセスさせないようにする方法もあるらしいけど、“統計” をやたら気にしない、あやしいリンクをクリックしない、書くことにフォーカスしなさい だって。

諒解。



2013年12月18日

8日目の感想

よく分からないままブログを始めて、8日たった。 

今の時点の自分のためのメモとして投稿。



Google の Bloggerを使っている。

投稿 ・ 設定の変更 ・ 統計情報などブログ管理者用のページ(ダッシュボードと名づけられている)をあれこれいじって、少し慣れた。

背景やタイトルに色をつけてみた。  
投稿した文章を 日を置いて読み直すと、誤字脱字 ・ 説明不足で意味が伝わらないと思われる部分 ・ 全体の流れからして不要な部分など見つかり、訂正を何度もした。訂正や更新はとても簡単。



分からないところもある。
ダッシュボードで “コメント” と “収益” がよくわからない。他にもあるけど。

“コメント” は、コメントをもらってないから分かりようがない。

“収益” は、ブログ上にGoogle AdSense というアカウントを作って広告を掲載することだが、できない。 
順序にのっとって申請したら、お断りのeメールをもらった。 理由は Insufficient Content つまり内容不足とのこと。 投稿数が少ないせいなのか、内容が悪いのか、日本語のせいなのかわからない。 今のところ気にしない。
  


気になるのが “統計”。これすごいね。

ページビューなるものの数値にわくわくした。トータルで 1,335 ―― 多いのか、少ないのか、ふつうなのか、見当もつかないが、読んでくれる人がいるのがうれしい。
ロボット検索というのがあることは承知してるけど、全部ロボットということもないでしょう。

クリスマスのトピックで3回投稿したうち、ページビューが、クリスマス(1)のときだけ飛びぬけて高い。トータルの半分くらいある。なにゆえ?内容、それとも曜日のせい。


さらに、“閲覧者” つまり世界のどの国でみられているかの統計にびっくり。なんと、マレーシアが8割以上、アメリカが割ちょっと。 日本はゼロ、皆無。

マレーシアが多いのは、日本の引退者が多く住んでおられるからかな。自分の年齢を書いたし。日本が無いのは 私が Blogger を使っているせいか。Bloggerは携帯から見るのに難があるらしいので。それでもゼロはいくらなんでも。他のわけもあるのか。


面白くて、ダッシュボードを日に何度も開いて見てる。一日一回と自制したほうがよさそう。中毒になりそうだから。文章を書くほうに時間をつかうべし。



2013年12月16日

クリスマス(3)

ちょっと日があいてしまったけれど、クリスマスの話を終わらせなくては。


私はもうこの頃はショッピングモールにはあまり行かなくなってしまいましたが、たくさんの店がひとつのビルに入っているモールはホリデーシーズンは一年で一番華やかで賑わうときです。

昨年のクリスマス直前の頃、娘の用事で一緒にモールに出かけたときのこと。 

二階の手すりにもたれて下の階を眺めると、きれいな模様を描くタイルの床を、大きな荷物をさげた人たちが大人も子供も急ぎ足に歩いているのが、どの顔もにこにこと明るく輝いて見えました。 

その明るく輝くエネルギーにうたれて「ああ、この人たちは物を買うのがうれしいのだ。」と感じてしまいました。欲しいものが買えたからではなく、物を買う行為そのものがうれしいのだと。

年のせいか、物欲を極めたバブルの時代を日本で過ごしたせいか、あるいは貧乏なせいか、もう自分は、物を買うことに疲れさえ感じます。物欲を超越したということにしておきます。
 


前回と前々回のアメリカに来たばかりの時の話から一跨ぎに飛んで最近の話になりましたが、その中間の20年余りは二人の娘の成長と共に色々なことを経験してきました。クリスマスにも片足くらいは突っ込んで。 

本当に、子供たちは私にとって外に開いた窓、いいえ、ドアのようなものでした。その話はこれからたくさん書くと思います。



数日前に娘と話したこと。

いつかあなたに子供ができて、その子がサンタクロースは本当にいるかときいてきたら、何て答えるかと聞いてみました。

嘘は言わないが、子供の年齢で言い方を変える とのこと。 

ただ、彼女の小学生時代でさえ、サンタクロースが本当にいるかなんてことは友人間で話題にならなかったと言ってました。いると思っていることにしている方が都合が良い、というのが大体の子供の認識であったとのこと。 

そういうことか...。





2013年12月14日

クリスマス(2)

クリスマスのデコレーションの話と 違和感の話


日本でも今どきは、一般住宅の外観にクリスマスデコレーションを施すことがあるそうですが、アメリカでは、というか少なくとも私の住む南カリフォルニアでは、暗くなってから住宅地を通ると豆電球の飾りで美しく輝く家々が目につきます。 

温暖な気候の当地ですが、12月は “寒い” という言葉が出るようになり、5時頃にはもう暗くなってきます。そんな夕方に車を運転していると、ふと寂しい気持ちが湧いてくるのですが、そこで色とりどりの光に浮き上がる家が見えてくると、気持ちが引き立たちます。

ここよりも北の方や東の方のずっと寒い地域では、こんな夜の光はもっと切実に心を温めてくれるものだろうなあなんて思ったりします。

さて、そんな光り輝く家の前を通り過ぎざまに見やると、屋根の上や前庭にサンタクロースやトナカイ、雪だるま、熊さん、ディズニーのキャラクターたち、線路をぐるぐる走る汽車などなどが隣近所と競い合うようにぎっしりと飾ってあります。 こうなるとさっきの寂しい気持ちは蒸発して、まさにホリデーシーズンの熱気に取り込まれてしまうのです。



アメリカに来てまだ数年しか経ってていなかった頃。昼間に住宅地を歩いていると、男性が屋根に上がって、せっせとクリスマスの飾り付けをしていました。 その光景に 例のとてもとても奇異に感じる気持ちが起こったのです。
違和感を感じる自分を面白く思ったので、いまだに覚えているのですが。

現在の私の目で見れば、この男性はクリスマスという舞台の大道具を設置しているのですから、季節の風物詩のような当たり前の光景です。

でも当時の私にとってクリスマスは、宗教的に祝う人たちは別にして、女子供の遊びのようなものという日本で育てた感覚があったのでしょう。それからこちらのクリスマスのデコレーションは、宗教的テーマの飾りを除けば、おおむね幼いデザインです。 

だからその光景は “大の男が女子供のなぐさみの行事のために幼稚な飾り付けをせっせとやっている” にみえたのです。

大人の男は、女子供のように幼稚なことにはかかわらず、もっと価値のあることをするものだ。女子供と男は別だ。と、そんなふうにいつの間にか刷り込まれていたのですね。それで違和感が発生したのでしょう。


思い込みは、それを意識化した時点でパワーを失うものと思っています。


(自分の中の 男性観、女性観、人間観 について考えなくてはならないですね。時間をかけてやってゆくつもりです。)

たぶん、まだクリスマスの話題、続きます。

2013年12月12日

クリスマス(1)

今、アメリカはホリデーシーズン真っ只中。
ここで言うホリデーシーズンとは11月第四木曜日のサンクスギビングデーに始まりクリスマスをはさんで1月1日に終わる期間のことで、御存知のとおりパーティーをしたり、贈り物をしたり、特別の料理を食べたり、特別の飾り付けをしたり、特別の宗教行事があったりで、それに伴って人が活発に経済活動ををする季節です。

キリスト教徒以外にも多様な人々が暮らす国なので、公共の場や公立学校では宗教色無しが普通のようです。 いわゆるクリスマスカードも “Merry Christmas” だけではなく “Happy Holidays” と書いてあるのもあり、私が選ぶとするとこちらのほうです。 

でもホリデーシーズンは、ここアメリカではクリスマスを中心にして出来上がったことは間違いないし、やっぱり気になるクリスマス。そこで私のクリスマスにまつわる思いを書いてみます。常に傍観者の立場なんだけど、私のクリスマスの印象は時とともに変わってきています。



忘れもしない1988年、年が明けてすぐにアメリカにやって来てそれから間もないときのこと。 住まいの近くを散歩していると幼稚園があって大きな窓から中が見えていて、そこに大きなクリスマスツリーが飾ってあったのです。

とてもとても奇異に感じる気持ちが胸に沸き起こりました。一月に クリスマスツリー!! 日本から来たばかりの私に 12月25日をはるかに過ぎたクリスマスツリーは完全に季節外れにみえました。

すぐに、日本ではクリスマスとお正月というたった一週間しか離れていない大イベントが、別々に全く違うテイストで盛り上げられるけれど、ここでは違うのだと説明できましたが、違和感は薄まりませんでした。 

日本で仕込まれた条件付けの強さが原因の、カルチャーショックです。

日本の注連飾り(しめかざり)がお正月過ぎても飾ってあるようなものだなと考えついたとき、ちょっと笑って気持ちの収まりどころがありました。

新しい物事に出会ったとき、自分の知っていることを手がかりにして理解しようとするものだという意味のことを聞いたことがあります。 

日本の注連飾りが、アメリカのクリスマスを知る手がかりになったという経験でした。




続きます。

2013年12月10日

はじめに

はじめてのブログ。

アメリカ、南カリフォルニアに住む60才の女です。


25年前日本を離れて渡米し、家庭をつくり、子を育て、それからささやかな仕事を持ち...

日々様々な思いが去来しますが、なかなか語りかける相手がいません。


ブログを書いてみようという思いを長い間心の中で転がしていましたが、遂にここに転がりいでることに相なりました。



使う言葉は日本語です。でも誰に向かって語るか。

これを 長く自問しました。

日本語で書くのだから日本に住んでいる日本人に向けて? それともアメリカに住む日本人? それとも日本語の読める人なら誰でも?

自分の常識や文化的背景を共有または理解できる人に向かって語るのが自然かなと考えると、とりあえずの姿勢として日本で生まれ育った日本人をイメージすることにします、どこで生活しているにせよ。

とにかく、それではじめてみます。



何を書くか、これも長く自問しました。

そして、考えるにつれ変わってきました。書くにつれ変わってゆくでしょう。

今のところ、自分のことをあまり明かさないようにするつもりです。はじめは慎重に行きます。

ただ、年齢・性別・居住地を明らかにしているのは、そのことについて書くつもりだからです。



とにかく、ネットの虚空の そのむこうの誰かに向かって

どうぞよろしく~~~