2014年1月10日

去年見つけた二人の女性、ル=グウィン と 篠原乃り子さん

自分には共感できる女性が見つからない、と娘に言ったことがある。

身の回りの人のことではなくて、日米のメディアに出る芸能人とか有名人のなかで、ということで。娘に向かっては理由を力説したのだが、今、なぜなのかを書くために考え始めて言葉に窮している。

苦し紛れに考えてみて、多分こういうことかな。 

メディアに表現される対象は、強調されたり、薄められたり、何かが付け加えられたりとにかく加工されているものだが、そうやって作り出された女性達が自分は気に入らない。たとえば、メイクアップや着ているもの、あるいは男性とのかかわりで語られる生活など、たいていは女であることの部分に何らかの強調がされていて、それが強い作為を感じさせ共感できない。 

何かのはずみで娘相手に自論を披露してから、共感できる女性をなんとなく探すようになった。

そして、去年見つけたのが今のところ、この二人の女性。 


一人目は、小説家のUrsula K. Le Guin
日本では アーシュラ・K・ル=グウィン と表記されている。現在84歳で健在とのこと。

昨年はじめて読んだ彼女の作品は、ファンタジー小説 Earthsea Cycle(日本では、ゲド戦記シリーズ)、全6巻。

本当は作者ではなく、この作品に出てくるテナー(Tenar)という女性が私の見つけた女性なのだが、そのテナーを生み出した作者の方に乗り換えることにした。

ル=グウィンは、アースシー(Earthsea)の世界の物語を最初3巻で終わるつもりで書いたそうだ (第1巻-1968年、 第2巻-1970年、 第3巻-1972年)。テナー は、第二巻に 少女として登場し、第3巻には出てこない。

作者も、当初は物語はそれで終わりと思っていたそうだが、18年という長い間をおいて、1990年に第4巻を出版し、我がテナーは中年となって再登場する。このテナーが、私の共感するテナー。

はじめの三つの巻の物語では、大人になる少し前の主人公たちが登場するヤングアダルト向け小説だったのが、この第4巻では、中年女性が主人公になってしまう。 前巻までのファンの趣味に合わないせいか、第4巻は、ネットの評価を見るとあまり芳しくない。でも、私は大人の女性に限ったら違う評価をすると思う。 

アースシーという、ル=グウィンが作った世界は、乗り物は動物が引っ張り、船は帆に風をうけるか人力で漕ぐかで走る。 戦う道具は剣。 そして力は男のもの、女は家を守るもの。その世界に作者はテナーを置いて考えさせ、生きさせる。彼女に 大事件がいくつかおこるが、地味に過ぎてゆく。 

ル=グウィンは、人の営みがシンプルなこの世界でテナーを通して女とは何かを探ったのだと思う。答えの出る問いではないけれど、問うことそのものが答えなのかもしれない。つまり、私はそんな問い方をするル=グウィンに興味がある。


もう一人の女性は、芸術家の篠原乃り子さん、あるいは Noriko Shinohara。
Cutie and the Boxerキューティー&ボクサー)というドキュメンタリー映画に登場する女性。
私は映画は見ていない。知ったときには、もうどこにも上映されていなかったので。

この映画は2013年の サンダンス映画祭 にてドキュメンタリー部門で監督賞を受賞したとのこと。たぶん、その受賞関連の記事が、彼女の写真に遭遇する機会だったと思う。

メディアに出る女性のファッションやメイクアップに嫌な気がしていた私は、まず彼女の外見に引き付けられた。お化粧なし、髪は白髪の三つ編み。年齢は私ぐらいだが、美しい人に見えた。
  
映画のトレイラー をみると 彼女の、ある意味壮絶な人生を通じて身につけたと思われる軽さというか無頓着さが、また魅力的。
よく見れば、彼女はもともとが美人なのだとわかる。私がかっこうだけ真似てもあの魅力は出ないのが残念。

今年のアカデミー賞ドキュメンタリー部門の候補にあがる可能性があるといわれている。もしそうなったら、劇場でまた上映されるかもしれない。そうなったらいいな。

以上、二人見つかってうれしいです。共感できる女性はもっといるはず。




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