2014年1月15日

the や a の使い方の勉強をして、あることに気がついた

英語のなかで最もよく使われる単語は “the” ということになっているらしい。悲しいかな、私はこのthe の使い方を一生マスターできないと思う。


私の生活は英語漬けではないにしても、仕事で何かを説明するための文を書くことがあるし、個人の用事で問い合わせや苦情のメールなどを書くこともある。
 
そういうとき、幸いなことに、今は次女(21才)が同居しているので、出来上がったものを彼女に見せて最終チェックを頼む。すると、嫌になるほど毎回 the や a 関連の訂正がある。

ESLの英語の先生が、冠詞の用法 (a/an, theをつけたり、つけなかったり) は、アジア人にとって難しいと言っていたのを思い出す。 さもありなん。 

最近思い立って、昔の文法の教科書を引っ張り出して冠詞の章を開いてみた。改めて読んでみれば、以前より良くわかるような気になる。the や a の使い方がマシになるかもしれないと希望を持てる。

昔の鉛筆の書き込みを消しゴムで消して、真面目に練習問題をやった。半ページ分ぐらいの文章があって、それに冠詞の間違いがわざと入れてあり、見つけて訂正するという練習だ。章の中が、いくつものレッスンに分かれていて、練習問題がその都度でてくる。ためになる。なるほど、なるほど。


さて、いくつも練習問題をやってるうちに、ひらめいた。間違いを訂正できるということは、間違った冠詞を使った文でも意味が通じているということだ。 文の全体の意味がわかるからこそ訂正できるのだ。 

いつもながら、娘に聞いてみた。突飛な質問だったので意味が伝わるまでちょっと時間がかかったが、答えはあっさり、“そうよ”。the や a の使い方が間違っていても、わかると。

つまり、冠詞ごとき細かいことが的外れでも、もっと強い力のある名詞や動詞が本来の意味を運んでいるということか。 

さらに、聞いてみた。私が英語を話すとき、the や a の使い方が間違っているのは、聞き苦しい(annoying)かと。へんじは、“ノー”。
なんとうれしい。過剰に、気にしなくてもいいということか。

日本で外国人が助詞(てにをは)を間違って話しても、意味はわかるし間違いが気になるわけでもないというようなものかしら。



まあ、あたりまえのことだけど、間違いを気にし過ぎないようにします。





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