前回のシカモアの投稿に続き、カリフォルニアの自生種であるカリフォルニア シカモア について、さらに、いろいろご紹介します。
自生種であるということは、あたりまえですが、この土地が今の姿になるずっと前から生えていたということです。でも、この南カリフォルニアが昔どんな景色だったのか、日本で生まれ育った私には想像するのもなかなか困難です。
昨日、Santiago Oaks Regional Park (サンチャゴ オークス 公園)という比較的自然の状態を保護してある広大なエリアの、そのごく一部をハイキングしてきました。それと合わせて、後で紹介するネットの記事とで、昔の姿を覗いてみようと思います。
その前に、下の写真は、都会に生きる現代のカリフォルニア シカモアです。駐車場の木として目的に合うように形が整えられ、また世話されている木の形をしています。
幹が二股に別れてます。こういった予定外の枝ぶりになってしまうのが、この木の持ち味でもあるようです。
2014年4月24日 Katella Ave. Cypress, CA |
1. Santiago Oaks Regional Park (サンチャゴ オークス 公園)というところで、水辺に自生するカリフォルニア シカモアを見てきた
下の写真は、公園の中を流れるSantiago Creek(サンチャゴ クリーク)という自然の水路の岸辺に沿って自生しているカリフォルニア シカモアです。
写真右手が下がって、水路です。
2014年4月26日 Santiago Oaks Regional Park, Orange, CA |
上へ上へと伸びています。都会の木とは見かけが違います。
2014年4月26日 Santiago Oaks Regional Park, Orange, CA |
大木の周辺には、中小の木が群生していました。
2014年4月26日 Santiago Oaks Regional Park, Orange, CA |
この葉の形には、すっかり馴染みました。
2014年4月26日 Santiago Oaks Regional Park, Orange, CA |
果実はほとんど付いていませんでした。都会の木とは違うのかしら。やっと写真が撮れる高さで見つけたのがこれ。4個つながっています。
2014年4月26日 Santiago Oaks Regional Park, Orange, CA |
カリフォルニア シカモア は riparian と説明されています。水辺に生える植物という意味です。雨の少ない南カリフォルニアでも、川は幾筋もあり、カリフォルニア シカモアはその川岸に自生します。
川は、かつては、植物が豊かに育ち、昆虫や魚や鳥や小動物を育み、それを捕食する大型の鳥や動物を引き寄せました。過去形なのは、今や、ほとんどコンクリートで塗り固められて生態系を支えられなくなってしまっているからです。
そんな中で、上記サンチャゴ クリークとその周辺は、自然の形を多少ともとどめているところです。公園は一般の人がアクセスできるように小径などがあり、整備されています。
下の写真は、丘の上から、低いクリーク周辺の茂みを見たところ。シカモアの白い枝が目立っているあたりが水辺。
シカモア、樫の木、松、ユーカリ等々の大木と、やぶを形成する低木がぎっしりでした。ユーカリのような外来種はともかくとして、その昔もこんなに緑が豊かだったのかしら。
2014年4月26日 Santiago Oaks Regional Park, Orange, CA |
2.ネットで、カリフォルニア シカモアの昔の話が見つかった
KCET(大雑把に、日本のNHKに近いもの)のサイトに、L.A. に関わりのある植物の歴史の記事があります。以前、ワシントンヤシの記事を紹介しましたが、シカモアもありました。
The Sycamores of Southern California: A Brief History
on June 20, 2013 8:00 PM
“南カリフォルニアのシカモアの歴史” というタイトルで、いくつかの注目を浴びたシカモアの木を紹介し、これらの木々の運命をたどっています。以下に適当に私のコメントもいれてご紹介します。
① El Aliso(エル アリソ)と呼ばれた巨木
この木は、ロサンゼルス川の氾濫原に聳えていた大木です。El Aliso という名は18世紀後半、スペイン人がつけた名ですが、それ以前に、すでに4世紀にわたって先住民(Tongva人)の生活を見てきたと紹介されています。
先住民の集落は水辺に沿って形成され、種族のリーダーたちは遥々遠くからこの木を目指して川沿いの道をやって来て、涼しい木陰で会合をしたと伝えられているそうです。
その後(何年か分かりませんが)フランス人のワイン醸造業者がその木の下に、ワインの貯蔵庫を造りました。この時点でこの木のサイズは、高さ60フィート(20 m)、枝の横の広がりは200フィート(60 m)あったそうです。この木が、おそらく歴史上もっとも巨大なシカモアであろうと言っています。
その後、ワイン醸造所はビール工場に代わり、周りに建物がどんどん建ち、邪魔なり枝は切り詰められてしまいました。さらに近くに出来た道路が根を痛め、ついにエル アリソは、1892年に枯れてしまったのです。
② ソーテルのシカモア
L.A. の西、ソーテルにあったシカモアは、スペイン人の宣教師 Junipero Serra がその大木の梢の下で祈りを捧げたと言い伝えられているそうです。(Junipero Serraは、1769年から1784年に没するまでの間、原住民を教化するために、はたまたスペインの地歩を築くために、カリフォルニアに九か所のミッションと呼ばれるコロニーを設立した人。)
時代が下って1850年代には、アメリカとメキシコの戦争中、この木で、リンチにより 21人の男が絞首刑にされたという記録が残っているそうです。
その後1920年代に、火災によりその生涯を終えたということです。
③ 広い平原に一本だけ立つシカモア
水辺でなくとも地下に水があるなら平原にもシカモアは生え大木に育つのだそうです。そういう場合、他に何も木がない所に一本のシカモアが立っている風景ができ、それは誰もが知る目印となり、土地の境界を示すのに使われたりしたそうです。
まだら模様の白い幹、ねじくれた枝の歳を経た大木は、人々に過去との繋がりを示し、想像をかきたてて、様々な物語が生み出された、と表現されています。
もっといろいろ書いてあったのですが、以上、このくらいにしておきます、疲れたので。
シカモアのストリーを読んでいると、私は日本のクスノキの大木を思い出します。九州出身なので、こんな木の名前が出るのですが。
神社などにはよく、大事に保護されている大木があって、横に立札があり説明が書いてあったりします。そのヒストリーは、もしかしたら半分はストーリなのかもしれません。
古い大木は、昔の出来事を私たちの身近に持ってきてくれるものなのですね。
シカモアのヒストリーとストーリーは終わりですが、まだ他の話が続きます。
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